2009年05月19日
不老長寿の花が…
『非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)』 の花が咲いていました!
爽やかな5月の風に誘われて午後からひとり伊萬里神社へ…
久しぶりの参拝に石段を上る足取りも軽く!っと思ったのは最初の4~5段 !? だんだんと胸の鼓動が…心拍数が上がって来る…明らかに動悸です。
まだ、手摺りに頼って上るような歳じゃない! いや、無理はしない方がいい!楽な方がいいよ! もうちょっと、ガマン我慢!葛藤しているうちに本殿まで辿り着きました。
すると、どこからともなくシトラスの香りが…やっぱり!
境内にある、古代から不老長寿の木とされている 『橘(タチバナ)』 からの芳香でした。
これが 『非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)』 です。
『非時香菓』についてはコチラをご覧下さいネ。 ⇒ http://okashi.sagafan.jp/e43416.html
なんと!花をつけてるではありませんか!
純白の五弁の花びらで香り高く、楚々としたハナタチバナ 『非時香菓』 です。

むさぼりついてるミツバチ、私に全く気が付きません!
全身毛むくじゃらのハチなんて初めて見たのでネットで調べてみると、いました!
『トラマルハナバチ』という名前が付いていました。
全身毛深いので花粉が付き易く媒介にとっても役立つハチみたいです。

『お菓子の神様』にもちゃんとお参りを済ませ下りてくると、ステキな景観が目に…パチリ!です。
爽やかな5月の風に誘われて午後からひとり伊萬里神社へ…
久しぶりの参拝に石段を上る足取りも軽く!っと思ったのは最初の4~5段 !? だんだんと胸の鼓動が…心拍数が上がって来る…明らかに動悸です。
まだ、手摺りに頼って上るような歳じゃない! いや、無理はしない方がいい!楽な方がいいよ! もうちょっと、ガマン我慢!葛藤しているうちに本殿まで辿り着きました。
すると、どこからともなくシトラスの香りが…やっぱり!
境内にある、古代から不老長寿の木とされている 『橘(タチバナ)』 からの芳香でした。
これが 『非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)』 です。
『非時香菓』についてはコチラをご覧下さいネ。 ⇒ http://okashi.sagafan.jp/e43416.html
なんと!花をつけてるではありませんか!
純白の五弁の花びらで香り高く、楚々としたハナタチバナ 『非時香菓』 です。

むさぼりついてるミツバチ、私に全く気が付きません!

全身毛むくじゃらのハチなんて初めて見たのでネットで調べてみると、いました!
『トラマルハナバチ』という名前が付いていました。
全身毛深いので花粉が付き易く媒介にとっても役立つハチみたいです。

『お菓子の神様』にもちゃんとお参りを済ませ下りてくると、ステキな景観が目に…パチリ!です。

2008年09月17日
橘の香り・・・
香橘神社(こうきつじんじゃ)
前回の続きです。
時は西暦770年、
橘嶋田麻呂が和歌の題材を求め伊万里を訪れた時、岩栗山(現 伊萬里神社)に
橘が栄えていることを不思議に思い、土地の人に尋ね田道間守命のことを知りました。
そして、我が橘氏に因縁があるところだとして、祖父であり橘氏の始祖である橘諸兄の
御霊を岩栗山に祀り『橘の宮』としたのです。
※ 橘氏は、源氏・平氏・藤原氏と並び四姓と称されたほど栄えた名門の氏族
平安時代の末ごろから『香橘神社(こうきつじんじゃ)』と称するようになり、
昭和34年に「戸渡嶋神社(ととしまじんじゃ)」、昭和37年に「岩栗神社(いわくりじんじゃ)」を
合祀して現在の「伊萬里神社」となったそうです。
前回の続きです。
時は西暦770年、
橘嶋田麻呂が和歌の題材を求め伊万里を訪れた時、岩栗山(現 伊萬里神社)に
橘が栄えていることを不思議に思い、土地の人に尋ね田道間守命のことを知りました。
そして、我が橘氏に因縁があるところだとして、祖父であり橘氏の始祖である橘諸兄の
御霊を岩栗山に祀り『橘の宮』としたのです。
※ 橘氏は、源氏・平氏・藤原氏と並び四姓と称されたほど栄えた名門の氏族
平安時代の末ごろから『香橘神社(こうきつじんじゃ)』と称するようになり、
昭和34年に「戸渡嶋神社(ととしまじんじゃ)」、昭和37年に「岩栗神社(いわくりじんじゃ)」を
合祀して現在の「伊萬里神社」となったそうです。
2008年09月14日
お菓子の神様

中嶋神社です。
菓祖 田道間守命(たじまもりのみこと)の
『四聖地』のひとつと云われる中嶋神社は
伊萬里神社の境内にあります。
昭和30年11月に兵庫県豊岡市に鎮座する中嶋神社より
御分霊を勧請して創立されました。
※ 豊岡市の中嶋神社は菓祖 田道間守命を祀ったもので、今から1300年以上も前、推古天皇の時代に田道間守命の子孫にあたる「中嶋の公」が、田道間守命の生誕地である但馬国の地に先祖を祀ったのが創立とされています。
西暦61年、第十一代垂仁天皇の頃、田道間守は天皇の命をうけ、不老長寿の霊菓『非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)』を手に入れる為に、
海の彼方の仙境・常世国(とこよのくに、今の中国の江南地方)に出発しました。
10年以上もの歳月を費やし、幾多の艱難辛苦の末、『非時香菓』を得て日本に帰りつき、最初に到着した場所が現在の伊萬里神社鎮座地である岩栗山であり、
その地の瑞々しい清浄さを称え、『非時香菓』を植えました。
※ 『非時香菓』は今でいう「橘」(ミカン科)で、「時を選ばず常に香しく輝きを放つ木の実」という意味で、生命力に満ち溢れたものとして珍重されました。「橘」は木の実の中でも最上のものとされたのです。
かつては木の実といわゆる菓子の区別は無く、木の実は菓子と言われており、「橘」をもたらした
田道間守はお菓子の神様とされました。
以上が伊万里の地に中嶋神社が創立された由来です。
全国には他にも菓祖神社がありますが、特に知られているのが下記の「田道間守命の四聖地」です。
神 社 名 創 立 年 代 創 立 の 由 来
①豊岡の中嶋神社 推古天皇(1300年前)のころ 田道間守命の子孫にあたる
「中嶋の公」による設立
②和歌山の橘本神社 白河法皇(1096~1129年) 田道間守命が橘の木を6本
植えた
③大宰府の中島神社 1954年7月23日 豊岡の中嶋神社より分社。
田道間守命とは直接関係ない
④伊万里の中嶋神社 1955年11月13日 田道間守命が常世国から帰り
香橘神社は770年 最初に着いた地で橘を植えた
私が小さい頃(数十年前)は、伊萬里神社のことを香橘神社と呼んでいた記憶がありますが・・・
香橘神社の由来については次回紹介しますね。